初代店主・中野“おやじ”晃男は、地元香川の中学を卒業後上京し、おでんの名店、
銀座【お多幸】で調理修業に励みました。
そして昭和48年(1973)、大井2丁目の光学通りと一本橋通りの交差点近くに
5坪ほどの小さく細長い店を借り受けました。
【おでん屋・八幸】 MarkTのスタートです。
■MarkT〜U(1973〜2004)
当時の八幸は夕方5時から深夜3時までのロングラン営業でした。
おやじはお多幸修業時代に知り合い、熱烈な恋愛を経て結ばれた、
それはそれは美しい“ママさん”と2人で店を切り盛りしていました。
夕方は光学通りの先にある大手企業工場の勤め帰りのサラリーマンが
疲れを癒しに立ち寄り、夜になると地元の自営業者、いわゆる旦那方が
指定席に腰掛けて晩酌しつつ、ママさんを相手にとりとめのない話に花を咲かせ、
そして深夜は夜の商売を終えて帰ってきた居酒屋の店長やバーの支配人たちが
ほっと一息ついて愚痴をこぼし合うというように、時間帯によって見事なまでに
客層が別れておりました。誰かが「八幸は三毛作だな」と言って笑いました。
なにせご覧の通り狭いので、奥のトイレにたどりつくにも一苦労。
カウンターにお座りの一人一人に「スミマセン」と声をかけ、椅子を引いてもらいます。
しかし、そんな濃密な空間だからこそ、お客同士のふれあい・譲り合いという、
なんとも心温まる情景が自然に生まれてきます。
店に入ろうとドアを開けると店内は満席、ガックリと してドアを閉めようとすると、
カウンターの奥の方にいる顔見知りの常連さんに
「オレ、もう帰るところからいいよ、どうぞ入って!」と席を譲ってもらったことも
1度や2度ではありません。
偶然に隣り合った見知らぬ人と、ふとしたきっかけで言葉を交わし始める。
この2人は気が合いそうだなと見て取ると、それまで知らん顔をしていたおやじが
頃合を見てさりげなく「○○さん、この人はね…」と互いを紹介してくれる。
2人は一気に打ち解けて仲良くなって、次回の八幸では当たり前のように
隣同士に座り、十年来の友人のごとく軽口を叩き合う。
しかしかといって、親しくなっても一線を越えては踏み込まない。
ましてや、互いの心を土足で荒らすようなことなど決してしない。
そこには「呑ん兵衛の流儀」とでも呼ぶべき暗黙の了解とともに、
なんともいえず心地よい空気が漂っていました。
インテリで博学のSやん、純朴さが人気のSちゃん、豪快かつ心優しいJボさん、
女帝(笑)S美さんと愉快なTさんご夫妻など、個性豊かで楽しい常連さんたち。
「今日は誰に会えるかな」と楽しみに八幸に通うようになりました。
しかし、私が仲間入りさせていただいた直後からママさんが体調を崩されました。
ひょっとすると長引くことになりそうだというとき、中野家の長男・忠晃クンが、
勤めていた大手居酒屋(店長)を退職し、母親(ママさん)のピンチヒッターとして
八幸に急遽参戦。頼もしい助っ人の登場に、おやじも心なしか安心した様子。
こうして、むさい男2人が狭いカウンターの中で右往左往する(笑)、
八幸 MarkU時代が3年ほど続いたでしょうか。
しかしこの間、入退院を繰り返していたママさんが帰らぬ人になりました。愕然。
私たちも大きなショックを受けましたが、それ以上に打ちひしがれているおやじを
なんとか励ますべく、できる限り八幸に足を運びました。
そんな八幸にさらなる試練が襲いかかります。
以前から存在してたものの、有名無実化していた一本橋通りの道路拡張計画が
突如具体化し、われらが八幸も立ち退きを余儀なくされることになったのです。
どうするおやじ! 忠晃クン!
■Mark V(2004〜2010)
「新しい店が決まったから見に行って」とおやじからの連絡を受け、
早速現地に急行した私は思わず絶句しました。…な、な、なんだこの立地は!
線路際のどん詰まり。人通りは? 勝算はあるか? マジで大丈夫か? おい!?
しかし、そんな私のはなはだ僭越ともいえる勝手な危惧をよそに、
新店舗に移った八幸は開店当初から連日満員の大繁盛。
それも、ほとんどが新しいお客さんばかり。これには正直驚きました、参りました。
おいしい手作り料理を安く食べられて、とても気分良く飲むことができれば、
お客さんは店がどんな場所にあろうとも来てくださるということを痛感しました。
数少ない常連客の高い来店頻度に支えられていた旧店舗とは180度変わり、
今までは考えらない女性のグループ客や若いカップルで賑わう店内を見回すと、
八幸の店舗移転はまさに「災い転じて福となす」そのものだと感心させられます。
逆に、旧店舗の立地ではあれ以上の新規客を獲得するのは無理だったでしょう。
新店舗開店と同時にアルバイトで入った辻本クンも、あれから6年で
すっかりたくましい正社員となりました。
そして2008年には某人気ラーメン屋で働いていた中野ファミリーの最終兵器・
次男のラヴハンター(笑)政広クンも晴れて八幸に入社と相成りました。
遠い昔、狭いカウンター内でおやじがひとり悪戦苦闘していた小さなおでん屋は、
今や若手スタッフの活気に満ちた、大井町屈指の人気店へと変貌を遂げました。
■Mark W(2010〜)
そして平成22年3月、この不景気の真っただ中、
八幸は同じ大井町のすずらん通りに2店目を出しました。
その店は奇しくも6年前、旧店舗からの立ち退きを迫られたおやじが
移転先の候補のひとつに挙げていた物件でした。
このときはタッチの差で先約されたカレー屋に譲らざるを得なかった店が、
その後居酒屋に代替わりを経た後、結局八幸の手に戻ってきたのでした。
もっとも、それだけ店の代替わりが激しいということは、飲食店にとっては
とりもなおさず厳しい立地であると言わざるを得ないでしょう。
大井町東口から すずらん通りへと入り、その奥も奥、
ゼームス坂との合流点に「八幸 すずらん通り店」はあります。
しかし、絶望的?な立地の本店を大繁盛に導いた実績を持つ八幸です。
すずらん通り店もきっと、近隣のお客さんの熱い支持を集めることでしょう。
店に歴史あり。そして八幸すずらん通り店の新たな歴史を作っていくのは、
店長を任された長男・忠晃クンと調理主任・辻本クンです。ガンバレ!
また、この拙文をお読みの皆様。ご愛顧のほど、なにとぞお願い申し上げます。
(文中、おやじの敬称略) |